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私の嫌いな言葉

久々に悪口を言ってみたいと思う。
最近、巷を賑わすベッキーと川谷の問題に付随してなのだが。
別に、直接この二人のことを語りたいわけじゃなく、ネットを色々見ていて疑問に思ったことだ。
90%の人が叩いているが、擁護をしている人も少なからずいた。
で、その人たちの論旨の一つが、特に川谷に対して
「アーティストの人格と作品への評価は別だ」
とかいうの。
あー、出ますか、やっぱり。
私、この言葉大っ嫌いなのよね。
だってさ、この言葉って都合いいじゃん?
ま、私も基本この考え方に賛成だけど、こういうときに使う言葉でもなかろう。
だからさ、たとえば小説家で人情物をよく書く人が人情家といえばそうでもないことがあり、それを知ったファンが「失望した」と言った場合ならば、この言葉はまだ意味があると思う。
でも、今回のように具合の悪いことをしでかしてしまい、世間から非難を受けた有名人のファンが、その苦しさから逃れるために苦し紛れに使うか、「俺って公人としての芸能人と私人としての芸能人の区別付いている大人なんだよね」とかっこつけたい、自分は頭いいんだと自慢したい高校生くらいが言いそうな言葉だから嫌い。
この言葉使ったら、どんな非難だって封じ込められちゃうからね。
魔法の言葉だよ。
どーーーーーーんなに悪いことしちゃっても、この言葉言えば無罪放免なんだからね。
で、私がこの言葉にさらに嫌悪感を感じるのは、悪いことをして叩かれた時には使うのに、「善いこと」をした時には言わないからだ。
恵まれない人に寄付をした、ボランティアとして被災地へ行った、雨の中で濡れた子犬を抱き上げた、など、イメージのいい、「善行」には、何も言わない。
以前、沢尻エリカがバッシングを受けている時に、
「彼女の人格と女優としての評価は違います!」
と怒り狂っていたファンがいたのだが、数日後に、彼女には早くに亡くなられたお父さんがいて、そのお父さんの墓前にお参りした、というニュースに怒り狂うファンはいなかったように記憶している。
彼女がクソ生意気な礼儀を知らん小娘だろうが、親孝行な優しい娘さんだろうが、女優としての彼女の評価には関係ないのではないだろうか?
沢尻や川谷に限った話ではないが、自分たちを感動させて気持ちよくさせてくれる「プライベート・人格」は全肯定、自分たちを嫌な気分にさせる「プライベート・人格」は全否定。
余りに都合の良すぎる、手前勝手な理屈ではなかろうか?
それに、少し話がずれるかもしれないが、果たして「作品」と「人格」はそう簡単に切り離せるものなのだろうか、という疑問がある。
私は腐っても文学部なのだが、ある作品についてレポートを書こうと思うと、やるのは先行文献の研究と、その作者の人格であったり、人生経験であったり、思想信条であったりを調べたりして、
「ああ、ここでこうなってるのは、この人がこういう人だからなんだね」
と納得した経験がある。
まあ、今現在生きている人に余り根掘り葉掘りプライベートを調べるのはいけないと思うが、作品理解や解釈において、その人の「為人」「人生経験」「生き様」といったものから行うのはそう間違ったものではないと思う。
自分の人生経験を「肥やし」にして「作品」にしいているのだから。
無論、全てがこれで上手くい訳ではないし、人格と作品が一致するとは限らない。
だが、そんな目の玉ひん剥いてまで「人格と作品は別!」と言われなければいけないほど悪いことなのか? と思う。
また疑問なのだが、「人格と作品は別」と言っている人って、本当にその人のことが好きなのだろうかと思ってしまう。
もう、その作品を見たり、聞いたり、読んだりして、頭破裂しそうなくらいの衝撃受けて、涙が出そうなほどに感動し、鑑賞した後は口も利けません、というくらい、その人の作品にヤられたら、
「こんなすごい作品を作る人は一体どういう人なのだろう?」
という疑問が湧き、その人の作品は全部購入して、インタビューもチェックして、出演番組は全て録画、それを何度も何度も繰り返して見たり読んだりする。
そうして、その人の人生が自分の人生の一部になったような感覚に陥ったりする。
そのくらい好きだったら、中々「人格と作品は別」って簡単に割り切れないだろうし、言えないだろう。
さっきも少し触れたが、私は素晴らしい作品とは、その人の血肉を感じさせられるような生々しさがあると思っているし。
だから、簡単に「人格と作品は別」とは言い切れない。
それに、今回のゲス川谷に関しては、一番の問題はアーティストのくせに「作品」がたいしたことないということだろう。
その作品が圧倒的に素晴らしければ、私も「やってることは屑だが、作品は神」とか言って擁護すると思う。
でも、メロディーはそれなりにいいかもしれないが、詩はぺらっぺらの恋愛観、気持ちの悪い声、その声や作品以上に気持ちの悪い川谷の顔、という、どうやって評価すればいいんですか? という有様。
で、続々と明らかになっていく「人間として」最低な面。
「人格と作品は別だ」と言ってもらいたいなら、別々に評価してもらえるぐらいの作品を作りやがれ。
まあ、今回何が言いたいかと言うと、こいつの新しいアルバム買った奴らは、人格と作品の評価を別々にし、アルバム買ったことを後悔スンナ、売ったり捨てたりせずに大切にしろ、ということだ。
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by volontaire | 2016-01-23 00:18 | 罵詈雑言 | Trackback | Comments(8)

Army Of The Looser

前回の記事でビョークの写真を挙げたので、ビョークのことでも書くか。
支離滅裂で矢鱈に長ったらしいけどなー。


私は余りビョークが好きではない。
音楽は素晴しいと思うし、インタビュー読んでも「いいこと言ってるな」と思うこともあるんだけど。
なんつーかね、この人は「正し過ぎる」「完璧過ぎる」て感じなのよ。
「自由のためにアメリカ帝国主義を打倒!」
「チベット開放しろ、中国!」
とか、言ってることは正しいと思うんですよー。子供たちのためにチャリティーやったりよー。
だから、気に入らないんだよなあ。
人間ってそんなに「正しい」ものなのかなあ?
私は世間一般が「正しい」「善い」としているものは嫌いだ。
「親を尊敬しろ」「慈善活動は素晴しい」「喧嘩はだめ」「戦争反対!」「相手を思いやったセックスじゃなきゃだめ」
みたいな。
別にそういう「建前」「モラル」「偽善」が全部が全部間違いとは思わない。
でも、それは「本音」ではないよね?
本音のままに行動して周りをメチャクチャにしていいだなんて、いくら私でも言わないけれど、そういう「欲望」「本音」を持つこと自体がいけないという観念で物事を規制するのはいかがなものなのだろう。
人々が素晴しいミュージシャンやアーティスト(ビョークのように)を熱狂的に支持するのは、普通の人がそういう「建前」「モラル」「偽善」に縛られて窮屈な思いをして生きているのに、彼らはそういったものを「くだんねえよ」と一蹴して物事の本質を表現するためにその人生の全てを捧げているからだ。
だから、ミュージシャンが政治的な発言をしても、同じような発言を政治家や経済界の人間と同じことを言っていても支持されるのは、
「この人たちの言っていることは「建前」「偽善」とかの表面的な薄っぺらいことではなく、人間の「本質」から出た、「本当」のことだから」
と思うからだろう。
素晴しい音楽を鑑賞した際に生じる「本当の感動」と同じものをこの人たちは与えてくれるとね。
私は別にミュージシャンが政治的な発言をしてはいけないとは思わないが、彼らが言っていることが常に「本当」のことだと思うのは間違いだと思う。少なくとも「絶対的な正義」と思ってはいけないだろう。それほど恐ろしいものはない。
私はビョークの言動を何となく受け入れられないのは、彼女が「勝者」「強者」の視点しか持っていないように感じるからだ。
この人は「神童」と呼ばれて12歳から音楽活動を始めて、ずーーーーっと第一線を走って、下積みの悲哀も落ち目の惨めさも味わっていない。
別にそれを「ずるい」「卑怯」だのと言う気はないし、そんな資格は私のような無才にはない。彼女は唯一無二の素晴しいアーティストであり、その成功は彼女の才能と努力、今なお様々な最先端のアートにアンテナを張って創作意欲を持っていることによることで、それは当然の結果だ。
でも、それでも思うんだよね。あんた自分がどれだけ恵まれているのか解っているのか、と。
別に、ビョークが少々「イッっちゃった」アーティストとはいえ、
「私は天才で、今の私はぜーーーーーーんぶ私の才能と努力のたまもの! 私がすごいから当然よ!」
と思い上がってるとは思わないけど、才能もなく運もなく醜くてずるくて弱くてだらしのねえ人間の気持ちは絶対に解らないよなあ。
この人は音楽に才能があってそれを早くから発揮してずっとそれに打ち込んできたけれど、それができる環境と幸運にいることがどれだけ「恵まれている」ことなのだろう。
才能があってもそれを見出して売り出してくれる人がいなかったり、家族が反対して押し潰してきたり、やりたくないぺらぺらの「商業音楽」やらされ続けて評価されなくて歯軋りしたり、単に見た目が余りよろしくないだけで笑い者にされたり、言っていけばキリがないけれど、そういう理不尽に押し潰される「弱者」「敗者」の視点はこの人からは感じない。
ビョークだって、何か間違えば汚い場末のバーで下らない流行歌を歌って日銭を稼ぐ落ちぶれたシンガーに成り下がっていた可能性もあっただろうに。
「努力できるのも才能のうち」というのが解らないであろうタイプだ。
こういう人に「正しくできないのは怠けているからだ!」と言われるのは、100メートルを9秒台で走れる人間に
「どうしてお前はそんなに足が遅い? もっと努力すれば足が速くなるのに、そうならないのは努力が足りない、怠け者だからだ!」
て言われるようなもんだよ。
こういう「勝者」「強者」の視点しか持っていない人が「正義」と言い出すのは大変に恐ろしいと思うのだけれど。
この人はチベットやらコソボやらの独立に口を出しているけれど、単純な「勝者」「強者」の視点から一方的に
「正義」を口にして振りかざすのはどうなんだろうねえ。
私はチベットで行われている人権侵害は恐ろしいし、中国はとんでもない国だと思う。強い国が弱い国を自分の都合で支配するのは許されないことだと思う。
でも、「国」「政府」がやっているからといって、「国民」全てがそうなんだろうか?
日本にだって色んな考えや生き方や立場の人がいるけど、どこの国でも「弱者」「敗者」はいる。そういう人間じゃなくても、一般人は何が正しいかよく解らずに毎日を精一杯に暮らしている。
そらね、あんたは頭良くて時間もあって意見聞いてくれる人だらけだろうけど、大概はそうじゃないんだよ。
戦争は悪い国と善い国がやっていて、戦争をしかけたり支配している国は国民全てが「悪」なのかな。
「子供のため」
といってチャリティーをやる人がいるように、
「子供のため」
と悪いことに手を染めざるを得ない人もいる。権力者に尻尾振るような、自分のプライドを切り売りしている人だっている。
そういう人たちも「正義」の名の下に滅されるべき「悪」なのだろうか。
弱くて可哀想だから何をしてもいいとは言わないが、結果が「悪」だったとしてその動機や過程までも「悪」であり、全て断罪されるべきだというのなら、私はそれはファシズムだと思う。
そして、政治とかって私みたいなバカには理解できないくらい複雑で、善や悪が入り混じり、視点を変えればそれは簡単に逆転する。
例えば、日本のお隣には北朝鮮というとんでもない国があるが、それが今すぐなくなったらどうなるだろう?
日本と韓国と中国の問題は山積みだけれど、一定の緊張感を保ちながらも大爆発せずに済んでいるのは北朝鮮という共通の敵がいることで、
「あいつがいる間は戦争はしないようにしよう」
という一種の仲間意識が生まれているという見方もできないだろうか。
私のこの意見は人によれば一笑にふされるような幼稚なものだろうし、北朝鮮はとんでもない国だというのに異論はないが、「戦争や独裁はいけない」という「建前」を飲み込んで「正義」に邁進していては結局自滅すると思うのだが。
「正義」と格好のいいセリフを口にしているが、その「正義」が行うことは何なのだろう。
「圧制に苦しむ人々を救う」
という美名の下に「解放戦争」を行い、
「この国に民主主義と平等を徹底させる」
と「統治」することなのだろうか。
「正義」「自由」と言っているがやることは「戦争」「支配」だよね。
私はビョークがそういうことを支持するとは思わないけれど、そこまで考えが思い至っていない人が簡単に「正義」を口にするべきではないと思う。
この人はエキセントリックでパッション爆発のアーティストだから深く考えずに行動しているのだろうが、だったらそういう人の言動を簡単に「素晴しい」とか言って鵜呑みにして絶賛して支持したらあかんのでは?
「正義」「自由」と口にするのは簡単だけれど、それを成立させるためにどれだけの「不正」「悪徳」「不自由」があり、また表面的にでもそれ潤滑させるために裏でどれだけ汚いことが行われているか。
私は直接的な被害者が
「私達を自由にしろ!」
と叫ぶのは十分に解るし、外野があれこれ言う権利はないし、解ったように
「この世の中は綺麗ごとだけじゃやっていけないんだよ」
と説教する輩の方が大嫌いだ。
マドンナのように
「私がどんなに頑張って素晴しい音楽を作っても戦争してたら皆聞いてくれなくなる。
だから戦争反対!」
と叫ぶのなら逆にかっこいいと思う。
「戦争反対」「愛と平和を子供たちに」
結構、結構。だが、その奇麗事が弱くてずるくて運のない連中に届くのですかねえ?
どこの職場にもいると思うが、自分が直接損害を被るわけでもないのに、他人の仕事にやたらに口を出して監視して上から目線で怒鳴り散らすオバサンが私の昔のバイト先にいた。
「とろとろしてんじゃないよ!」
「優しく言っている間に言うこと聞け!」
「いっつもぼーっとして、アホか!」
毎日のように他人に罵詈雑言を浴びせかける。
私がいるのは常に底辺の職場なので、信じられないバカやノロマ(私も含めて)が多く、言われる奴にも確かに問題はあり、「仕事をきちんとしろ」というのは正論だ。
だが、だからといって他人を罵る権利があるのだろうか?
このオバサンは、誰かに意地悪をするのが楽しいという悪意から言っているのではなく、
「私はあんたのためを思っていってやってるんだ」
という善意と「仕事をちゃんとしろ」という正論を持って他人を過剰に監視して攻撃してきたから、物凄く性質が悪かった。そのオバサンがギャンギャン言うのは、確かにバカでノロマな連中だった。
自分がバカでノロマなのは事実で他人にいっぱい迷惑かけてるのは知ってる。
でも、どんなに一生懸命やっても自分は人より物凄く劣る人間なんだ。
「ちゃんとできないのは怠けているから、甘えているから」
そう言われて批判されまくるのがどれほど辛いことなのか解るだろうか。
自分の無能さのせいで迷惑をかけられた人が怒るのは仕方ないけど、直接関係のない人間に「バカ!」「グズ!」と罵られることがどれだけ頭にくるか解らないのだろうかね。
それにこのオバサンだって人のことにあれこれ口を出せるほど有能な人間ではなかった。
バカでノロマな私でも「あの仕事の雑さはなんだ」と思うくらいだった。
それなのに人を監視して片っ端から口を挟み、上から目線で「私は正しいことを言っているんだから言うことをきけ!」と喚きちらし、それが聞き入れられなかったら更に喚く。単なるヒステリーじゃないかと思った。
別にビョークがヒステリーオバサンだとは言わないが、自分が直接被害を被るわけでもないのに、相手の事情などお構いなしで一方的に「正しいこと」を叫ぶ姿勢に、似たものを感じた。
「勝者」「強者」が唱える「正義」「善」に一定の魅力や理があるのは確かだが、それが「弱者」「敗者」に一方的に押しつけられるのなら、紛れもない暴力でしかない。
ビョークのような、どこからどう見ても「勝者」「強者」がそう叫ぶのなら解るが、そうでない人間が無理をして従う必要はないだろう。
その「正義」の矛先が自分に向けられた時、その恐ろしさが初めて解るだろうに、解らないのはどうしてだろうねえ。
ビョーク様の「正義」が日本の捕鯨やイルカ漁や靖国問題や過去の歴史問題に向けられることがないことを、目先の物質の豊かさのために強国のケツを舐める奴隷であることを選んだ国民としては真摯に願います。
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by volontaire | 2010-08-21 01:07 | 罵詈雑言 | Trackback | Comments(0)

Eleanor put your face back on

コラム総合 - エキサイトニュース


このコラムとは直接関係ないけど、ちょっと前から書きたいと思っていたことなので。
Franz Ferdinandのボーカルアレックスの彼女のエレノアについて。

私、彼女のことあんま好きじゃないんだよね。
半分は嫉妬だと思うけど、この人は言動が少し痛いと感じたから。
確か6年くらい前に彼女のインタビューを雑誌でちらっと読んだんだが、それで何の前触れもなく
「彼氏に音楽の授賞式とか色んな所連れていってもらって、色んな人に会ったわ」
て言って、「はあ?」と思った。
ちらっと読んだ程度だから記憶違いもあるかもしれないけど、少なくともインタビュアーから彼氏のことに訊かれたわけじゃないのに、自分から彼氏のことについてべらべら喋るのってどうなの? と。
まあ、6年前だと付き合って間もない頃だし、外人さんと日本人はプライベートに関して考え違うからと思わないこともないけど、私が彼女を不愉快に感じるようになった決定的な出来事が、「アレックスのシャワー写真ばら撒き事件」!
いや、あれは必ずしもエレノアがやったと断定できないんだけど、前述したようなこと言っちゃう人だとやりかねんよなー。
だって、シャワー浴びてる写真なんて彼女とか親友とか、よっぽど近しい人じゃないと撮れない写真じゃん。
そういう写真をファンにばら撒くってどういう神経してんの?
「私は貴方達が好きで好きでたまらない人のこーーーーんな姿見れるのよ!」
て言いたいのか? 自慢か?
エレノアは親切でやったのかもしれんけど、ちょっとでも好きなミュージシャンのプライベート知りたい一般ファンからしたら、それは自慢ともとれる。
こう思うのは私が並外れて意地悪くて嫉妬深いからなのかもしれんけど、世の中、
「わー、アレックスのこんな貴重な写真くれてありがとう!」
と素直に感謝してくれる善良な人間ばっかとは限らんぞー。
そら、有名人や素敵な男性と付き合えれば
「私はこんな素敵な人と付き合ってるの!」
と言い触らしたくなる気持ちも解らないことないけどさ、相手が多くのファンを抱えてる有名人だと、そのファンから嫉妬されるっしょ。
ファンの嫉妬って怖いし、ファンじゃなくても魅力的な男性を射止めた女性に逐一チェック入れてけなしたくなる女性心理はある程度万国共通だと思うよ。
前にスペイン人のアレックスファンとちょっと話したことあるんだけど、
「なんであんな素敵な男性(これはニックのこと)とあんな女性が結婚すんの?」
「エレノアはaverageよね」
て言ってたし、アレックスではないけどフランスの人気男性歌手(中々の美形)の恋人の写真に
「C'est drole!(おっかしー!)」
てコメントが物凄いついてのを見たことある。
勿論、嫉妬に狂って酷いバッシングをするのはいけないけど、「嫉妬されてる」て身分に妙な陶酔を覚えるのも、またややこしい女心だったりするんだよね。
つまんねー女に嫉妬はしないでしょ?
いい男を射止められるのも立派な女性としての魅力の一つで、もし彼氏が同じミュージシャンでも人気のないバンドや、人気バンドにいても地味なメンバーだったらあんま嫉妬されないから、それはそれで「つまんない」と感じたりすんのよ、女は。
同じ意地悪されるのも「ブスが!」て見下されてるより、魅力的なことを妬まれるのじゃ、気分の持ちようは全然違うと思うけどねー。
少なくとも、男性からの同情は全然違うと思うよ。
それに、エレノアのこの言い方は
「こんな素敵な男性と付き合ってる私」
みたいな、相手をブランドみたく思ってる感じがしたのがね。
そう思う気持ちは解るけど、好きで好きでたまらなくて、付き合うだなんて大それたこと思わないけど、せめて一目あって私に笑いかけて欲しいと思って必死こいて追っかけしてるファンからしたら、自分が少なくはない時間と金注ぎ込んでる対象をそんな風に扱われたら、頭くるけどなあ。
エレノアも悪気があってそうしたんじゃないだろうし、こういうことやったのも付き合って一年かそこらの熱々の時期だったから彼女もちょっと調子こいてしまったのかもしれないけど、それが解ってても不愉快だわ。
ま、だからエレノアは「可愛い女」だとは思うよ。
見た目は好みがあるだろうけれど可愛いほうだと思うし、頭脳的には馬鹿ではないんだろうし、いかにも下品で軽薄な「セレブ」って感じではないしね。同じミュージシャンだから話も合うんでしょ。
で、たまにこういう「ドジ」やらかしたら、
「しょうがないなあ、お前」
て感じで、男性からしたら逆に可愛く思えるんでしょ。
いかな苦労人アレックスといえど、そこら辺は「男」なんだろうねえー。
ケイト・モスの誘惑を退けたのは流石だと思うけど、「ちょっとゆるい」女性が可愛く思えるのは男の性だわね。
良くも悪くも、男性は自分に優越感持たせてくれる女のが好きだからね。
全部が全部完璧だと息が詰まる。
源氏物語の光源氏の年上の恋人の六条御息所も美人で頭よくて趣味もよくて浮ついたことはしないんだけど、
「素晴しい女性だとは思うけど、ちょっとくつろげない」
て光源氏は余り頻繁に通わなくなって、見た目も普通で身分も高くないしなよっとした感じの夕顔に惹かれる。
夕顔は小柄で男のいいようにできるような女だったからね。
「夕顔」って名前の通り、ひっそりと咲いてひっそりと萎んでいく存在。
最後は悪霊(嫉妬に狂った六条御息所とされる)に取り殺されてしまうけど、光源氏は
「騒ぎになったら怖いから」
て夕顔の頓死を隠すし。
昔は六条御息所は
「嫉妬に狂って生霊になって相手を殺す怖い女」
と思って好きじゃなかったけど、その気持ち解るようになりました。
私も実際にエレノアに会う機会あったらその時は心にもないおべんちゃら言うだろうけど、多分、後でこっそりネットとかで
「肌が汚かった」
「思ったより老けてた」
て意地の悪いこと言うか、わざとブサイクに撮れた写真を流すかもしれないし。
そういや、前に平子〇沙の悪口をミクシで言ったら、
「日本人は謙遜が美徳とされてるから、平子さんみたいな女性は誤解されちゃう」
みたいなことを言ってくる人がおったが、私は逆にそういうのが日本人的だと思うな。
ネットで見てると、アホみたくミュージシャンや自分の好きな芸能人の恋人や嫁を絶賛してるのがいるのよ。
「〇〇さんが選んだんだから素敵な女性だと思います」
とかね。
実際に素敵な人だと思ってるならいいけど、殆ど表に出てこない一般人の場合、情報ないんだから好きにも嫌いにもなれないじゃん。
私は意地が悪いから、そういうこと言ってる人見たら
「無理してませんか? 嫌いなら嫌いって言えばいいのに!」
と思う。
酷い誹謗中傷をするのはよくないけど、好きになれないなら好きになれない、てのも一つの答えだと思うよ。
そういうこと言うのは「世間体」てのを異常に気にする日本人的体質からじゃね?
誰が何と言おうが嫌いなものは嫌いだし、不愉快なものは不愉快でしょ。
他人にちょっと言われたくらいで自分の好き嫌いまで変えてしまえるの?
六条御息所は表面では
「私は人を妬んだり恨んだりしません」
て思っていたけど、心の奥底では嫉妬が渦巻いていて、それが「生霊」となって人を取り殺すまでに至る。
本当に御息所の生霊が死なせたのかは解らないけれど、妊娠中の光源氏の正妻の葵が苦しんでいるのは六条御息所が祟ってるからじゃないのかと噂を立てられたら、一応否定するんだけど、
「もしかしたら」
と否定しきれずに自分でも恐ろしくなる。
そして結局葵が死んでしまったら、体の中から護摩の匂い(昔悪霊退散する時に使われた)がして、
「やっぱり私がやったんだわ!」
と、光源氏から離れることになる。
だから、表面は
「〇〇さんの彼女は素敵な人です!」
とか言ってる人見ると、こういう人が嫉妬に狂って恐ろしいことするんじゃね? と思う。
ネットでの誹謗中傷は考えなくちゃいけない問題だけど、ネットですら自由なことを言えずに素直になれない人達を見ると、怖くなる。
そういう女性は「可愛くない」と思うのだから、私もアレックスや光源氏を批判できんかもね。
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by volontaire | 2010-07-26 00:50 | 罵詈雑言 | Trackback | Comments(0)

イラッ☆

http://www.barks.jp/news/?id=1000061791


一ヶ月以上の前のニュースにどーたらこーたら言うのもアレだけど、トム・ヨークの言動についてちょっと言いたいことがあったので、書くことに。
そーとーに上から目線で下品な言葉遣いだから熱心なファンは間違いなく不愉快になるだろうがね。
まあ、こんな糞ブログはそんな真面目な人は見ていないだろうからいいけどね。


このニュースでのトムの発言自体は正しいと思うけど、
「お前が言うな」
て感じた。
全文が載ってるわけじゃないし、わざとこんな叩かれやすい部分だけ抜粋されてるのもあるだろうけど、前々からトムの言動には時折不快感を感じていた。
いや、トムはトムなりに考えてやってるんだろうけど、なーーーーーーーーんか一言言いたくなるのよ、この人は!!!!!!
「今の音楽業界はもうダメだ」
て言うのには同意だけど、
「自分でなんとかしろ」
てちょっと冷たくない?
冷たいというか無責任な印象を受ける。
「レコード会社に頼らず自分でやれ」
て、あんたが言うなよと感じた。
だって、この人だって最初はレコード会社のお蔭で売れたんでしょ?
既存のシステムのお蔭で富と名声を手に入れた人が、さも自分は一から全部やりました、みたいな感じに上から目線で
「自分でやれ」
てなんだかねえ。
洋楽オタクに多いんだけど、ミュージシャンの言うことを丸呑みしてレコード会社を目の敵にする人間がいるけど、そういう人たちってなんだか。
いや、私もレコード会社が「善」だなんて思っていないし、音楽に対する愛情も理解もなく、「金儲け」にだけに走る奴は大嫌いで、そういう奴が今音楽業界が下火になっている一因だと思う。
バカソーみたいな自分はなんら創作する能力がないのに、才能がある人間に寄生して偉そうにしている業界の屑は虫唾が走る。
でも、アーティストが最低限の生活をしてその人生を「芸術」「表現」に捧げるにはある程度の「金」「力」が必要なのは事実。「芸術」は「政治」「経済」と密接な関係があるのは、馬鹿な私でも解るぞ。
イタリアのルネッサンスもフィレンツェが経済的に栄えていたのと、メディチ家っていう金も力もあって芸術にも関心が高かった大パトロンがいたからだし、日本の狩野派が栄えたのも代々の殿様に気に入られてたから。
一部の馬鹿な音楽オタクは
「素晴しい音楽は『金』『政治』という「汚い現実」とは無縁のものから生まれて、そういう「汚い」ものとは関係のない人々の「芸術を愛する心」によってのみ栄える」
みたいな「お花畑」でうんざりする。
そりゃね、芸術のセンスが一切ないくせに芸術家の仕事に口を出してきて、素晴しい芸術作品を改竄する馬鹿な金持ちはいかんよ。
今なら大手のレコード会社が「作品」として素晴しい音楽より、「売れる」音楽ばっか出してるようなもん。
でも、「金」「力」はそれに溺れて悪いことしちゃいけないけど、無視していいもんでもないよ。
トムだって若い頃は「スターになりたい」「売れたい」みたいに思ってたんでしょ?
この人が売れたのは、勿論、自分や仲間の才能と努力が大きいけど、レコード会社のお蔭でもあるでしょう。
インタビューを受ける段取りや時間の調整、ライブの会場設定、スタッフの配置、ラジオ会社やCDショップへの地道な営業。
私は一般人だから詳しいことは知らないけど、レコード会社がやってくれそうなことって思いつくだけでもこれくらいあるし、こういうことを全部アーティストがやろうとしたら、相当な負担で本業に支障をきたす可能性がある。
売れないミュージシャンとかでも下積みの時に売り込みだとかを自分で必死になってやって、それに気を取られてしまって本当にやりたい音楽やれない、最初の目的を見失ってしまった人は少なくない。
この人はそういう地べた這いずり回って何もかも自分でやらなければいけない、「底辺」の苦労をせずにデビューしたから、レコード会社の有り難味がよく解ってねえんじゃねえの?
別にレコード会社におもねってそいつらの言うこと聞いてつまんねえスカスカの音楽作れ、てわけじゃないけど、
「何もかも自分でやる」
苦労をしたことがないくせに、
「苦労しろ」
だなんて、ちょっとねえ。
ファンはこの前の
「好きに値段つけてね!」
ダウンロードを例にとって
「この人たちも自分でやろうとしてるよ!」
とか言いたくなるかもしれんけど、それはあれだけ有名で実力がある人たちだから話題になったんだし、彼らほど有名じゃないけど素晴しいミュージシャンで、無料でバンバン自分らの音楽ダウンロードさせてる人が時々いるけど、その人たちがそんなに話題にならないのは、正味な話、「売れてないから」だよねえ。
くどいけど、この人らが有名になれたのは既存のレコード会社のシステムのお蔭で、それを踏み台にして自分のやりたいことやってる人たちが自分の足元を否定するようなことを言うのはいかがなものかと。
よくミュージシャンは
「自分らで音楽作ってない連中がちょっと口を出しただけで大金せしめてやがる」
と文句を言うし、私も賛成だけど、レコード会社からしてみれば
「じゃあ、自分らの代わりにお前らが営業やら何やら一からやってみろや!」
て話でしょ。
さっき言ったような一部の音楽馬鹿どもはミュージシャンが自分でマーケティングやら営業をしたら
「金に目が眩んだ汚い奴」
と言うし、一般人もミュージシャンが金のことを言ったら白い目で見る。
下手すりゃ、不道徳的なことを歌い、反社会的で愚かな行いをしているミュージシャンよりも嫌われる。
レコード会社がそういう「汚い」部分を負ってくれているから、自分達は「綺麗」でいられる面もないだろうかねえ?
何でもそうだけど、何もない所に一から作ろうとしたら額に汗をして手足に血豆を作るような努力を気の遠くなる時間と根気でやらなければいけない。それは少しも優雅でもない「格好の悪い」ことだ。
私はこの人が「音楽」に関しては苦労をしていない、「努力」をしていないとは全く思わないけれど、それ以外の分野で「格好の悪い」ことをしてまで何か新しい地平を切り開こうとしているようには思えないんだよねえ。
本人は口では「何とかしなきゃ」って言ってるけど、このニュースを読む限りでは危機感ゼロない言い方じゃん。
自分も音楽業界の人間のクセして、「沈みかけてる船」に乗ってるとは欠片も思ってないからこんな悠長なこと言ってられるんでしょ。
そら、あんたは金もあって、今引退しても余裕で暮らしていけるんだろうけど、そんな余裕もなくて「沈んで行く船」から逃げられない人間からしてみれば、これほど腹の立つ発言もないと思うよ。
リリー・アレンが
「ネットでのダウンロードいいんじゃない」
ていう大物アーティストたちに
「あんたたちは有名で売れてるからそんなこと言えるのよ! ふざけんな!」
て怒って行動起こしたけど、是非は別としてそっちのが自然だと感じるわ。
で、まだこの人が万事においてこの調子で仙人だか世捨て人みたいな達観したニヒリズムに徹した、「一番の環境保護は人類滅亡だ」みたいな言動なら、
「まー、ああいう人だし」
とそんなに腹も立たないんだろうけど、環境問題やら社会問題には鬱陶しいぐらいに口を出している。
「このままじゃだめだ! 皆もっと関心を持って解決しなきゃ!」
みたいにね。
しかも、
「子供達の未来のため」
だのって手垢のついた口にするだけでも恥ずかしいような甘ったるい理由で。
それも重要だとは思うけど、なら先ずこの人は自分が属している「音楽業界の未来」のために戦うほうが先なんじゃねえの?
この人それなりの金持ちの家に生まれて、明日のご飯の心配はしなくてもいいけど、それでも満たされない何かを埋めようとして、それを音楽に求めたんじゃないの?
「誰かに認められたい!」
そういう欲求を音楽に求めたんだろうし、そういう「認められたい」って思いを音楽や絵や写真に求める人間はこれからも一定数いるだろうし、「音楽で食う」という道はなくても、人は絶対に音楽や「芸術」を愛して求めると思う。
音楽じゃないけれど、一万年以上前の洞窟に人間の祖先は絵を描いたし、単なる煮焼きする鍋や皿に彩色や装飾を施したり、宇宙人を思わせる土偶を作ったりしていた。
今となってはその正確な意味を知ることは不可能だけれど、単に食って排泄して生殖する「生物」以外の「心」を人間は持ち、それを表現しようとして形にして残そうとしたんじゃないのかな。
「芸術のためなら何をしてもいい」
「音楽は世界を変える」
というような「芸術至上主義」は私も嫌いだし、トムが批判したいのはそういう連中だろう。
歌を歌えば世の中が平和になる貧困は解決できると思って莫大な金を使って「啓蒙活動」している愚か者どもは地獄に堕ちればいいとも思う。
でも、だからってこの人の言うように
「沈ませれば?」
と傍観しているだけの連中もどうかと思う。
私はこの人のことは決して嫌いではないし、できれば好きになりたいと思う。
この人は頭がよくて優しくてちょっと臆病で無気力な人なんだろう。
でも、この人は政治家やら一般市民やらに偉そうに
「この世界の責任を」
みたいに言うのなら、自分だって自分の「責任」を果たすべきなんじゃないの?
音楽業界が「沈み行く船」だというのなら、爆破するなりなんなりしてトドメを刺してやるとか、それができないのならせめて今乗っている人たちを救ってあげるように積極的に働くべきなんじゃない?
それがいやしくも音楽業界に身を置いていて、金も力もある人間の「責任」じゃねえの?
この人、音楽なければただのチビで口うるさいオッサンじゃねえかよ。
音楽のお蔭で金も力ももらえて発言に注目させてもらえてるくせして音楽を軽んじていて、そういうことを言っている自分は「重く」みている印象受けるから不愉快なんだよなあー。
勿論、この人一人に音楽業界の全てを被せるのは酷だし、ミュージシャンですらない外野が上から目線で
「責任とれや」
と言うのもおかしいだろう。
ただ、トムは自分だって政治家でも社会活動家として本格的に活動している訳でもなく、またその才能もセンスもないのに、上から目線でテレビや雑誌で文句をつける「格好いいこと」はやって、政治や草の根の社会活動に自分の日々を捧げる「格好悪い」ことはせずに、「有名人の社会活動」という愚かな民衆が適当に賛同してくれる程度の活動で、「有名なミュージシャン」という美味しい立場には居座ったまま。
「音楽」に関してはすごい努力家なんだろうけど、それ以外のことはダメでしょ、この人。
ミュージシャンに聖人君子を求める気は一切ないし、音楽でこれだけ才能があるんだから別にそれでいいと思う。
でも、本人は勿論、ファンや馬鹿なメディアが必要以上にこういう人を美化して持ち上げるなら舌打ちしたくなる。
日本もそうだけど、音楽業界も有名なミュージシャンの子供がデビューして、売れなくても単にテレビで馬鹿やってるだけなのに金を貰ってたりする。
これは極端な例だろうけど、一旦力を持った人間は何をやっても賞賛されて金を貰えて、そうじゃない弱い人間は成功しても報われない、という世の中は無気力をもたらすだけだよ。
この人はこの人なりに頑張っているんだろうけど、この人も何だかんだで「スター」なんだろうから、馬鹿で無能で不運な人間がどれほど惨めなのかは解らないんだろうねえ。
私はスポットライトを浴びて賞賛される人生なんか送ってこなかったし、これからもないだろうからこういう人の気持ちは解らないようにね。
妬み僻みで切り捨てられるだろうけど、それでも「ふざけんな」て言いたいよ。
まあ、ダラダラと書いたけど、おトムさんは環境保護より自分の頭髪環境の保護を優先させたほうがいいよー、ということだ。
長髪やヘアバンドで生え際を隠すなどという小手先の誤魔化しではなく、間違いなく衰退している自分の頭髪と真正面から向き合って解決をするべきだろう。
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by volontaire | 2010-07-24 18:23 | 罵詈雑言 | Trackback | Comments(0)

努力の方向

Excite エキサイト : 芸能ニュース

ミクシのニュースで話題になっててその時に書こうかと思ってたけど、時間無くて書きそびれたのでこっちで書きます。

この記事読んで「う~ん」と思った。
私は西野のこと好きでも嫌いでもないし、彼のブログを逐一チェックして粗探ししてる奴のが嫌いだけど、「天才」だから嫉妬されて嫌われてるわけじゃないと思うよ。
この人はなんかね「ええかっこしい」な感じで、そこが鼻につく。
別にお笑いの才能が全くないとは思わないんだけど、なんつーの、
「こんなおもろいことやってる俺ってかっこええやろ?」
て「かっこつけ」のためにお笑いをやってる感じがする。
ナルシスト臭がすごくするんだわ。
別に多かれ少なかれ、芸人だけじゃなくてバンドや役者やる人間も、メディアに出ていく人間は
「自分はすごい!」「こんなすごい自分を認めてくれ!」
ていうナルシストな自己顕示欲の塊だと思う。
お笑いでもなんでもでもいいけど、純粋な愛じゃなくても自分をスターダムに押し上げるための「道具」としてお笑いや音楽を利用するのもOK。面白い結果を残せれば動機なんて何でもいい。
でもさあ、お笑いでも音楽でも小説でもいいけど、一流になるには死に物狂いの努力と覚悟と度胸が必要でしょ?
テレビでこの人の仕事見てるけど他の芸人の人が体張って汚れ役やってるのに、この人はそれに茶々入れてるだけでしょ。「かっこわるいこと」はしない。
そういう役割をやらせられてるだけなのかもしれないけど、
「汚いことや面倒なことはやらずにかっこいいこと、「絵になること」だけやってかっこよくいたい」
て印象を受ける。何か甘ちゃんな感じ。
ダウンタウンの松っちゃんもナルシストで「俺はごっつい男前」「俺は天才」みたいなこと言ってるけど、あの人もかなり自分を汚すような仕事してるし、トークとかで自分のヘタレぶりを自ら暴露してネタにしている。
「自分ってこんなにダメな人間なんです」
て人様に晒してそれを笑われるのは想像以上に苦痛でしんどい。それをやるにはかなりの根性が必要。この人は
「俺はやってやるねん!」
と言っているけど、そういう強さがない人間が何をやってやるというの?
何かこの人には
「俺は何がなんでも成功してやるんじゃあああああああ!!!!!」
て血を吐くような気迫を感じない。成功するためなら何だってやる、汚いことも悪いこともやってやる、ていう感じがしない。
本人はそういうつもりでブログで吠えてるのかもしれないけど、「弱い犬ほどよく吠える」という印象しか受けない。文章をたまにネットでやりだまにあげられてるのを時々見るけど、明らかにネットを意識してる書き方をしてる。そんな、ネットの悪口を一々気にしてたら大物になれないよ。口だけは強くてもそういう小心さや小物感がありありと出てる。なのに
「俺はすごいねや!」
と吠えるから不愉快、てか「こいつ何と戦ってるの?」と不思議になる。
戦ってる人や怒ってる人は好きだけど、その怒りがその人の根幹となるものと世間とのぶつかり合いからくる自分の存在を揺るがす存在への怒りとか恐怖とか恨みから来るものじゃなきゃ、何か迫力不足だわ。お笑い芸人はよく「貧乏」「ブサイク」「ハゲ」「バカ」をネタにしてるけど、その笑いは根底にはルサンチマンがあると思うから、薄っぺらい笑いじゃなくて、ちょっとした「毒」がスパイスみたいに効いてると思う。私はそういう笑いが好き。
この人結成五ヶ月でデビューして新人賞総なめでとんとん拍子にデビューできて「下積み」の苦労を知らずにテレビに出て人気出たんだよね。察するに生育環境も物凄い、洒落にならないド貧乏とかはないんじゃないだろうか。
それが悪い方向に出てるんじゃないのかな。
別に苦労してなきゃ大物に慣れないとは思わないけど、楽、「綺麗なこと」ばっかりしてるだけじゃ成功はできないでしょ。
「若手」て呼ばれてる芸人さんも30くらいでやっと売れ出して、下積み十年やってましたとかいうのざらで、いい年してバイトしてて、そういう「どん底」にいて自分の才能に自信を持っていてもゴミ屑みたいに扱われて、バカにされて、一緒にお笑い目指して奴が、自分なんかより遥かに才能あると思ってた奴がどんどん脱落していくのを見て、
「自分どうすんの? これでいいの? 本当に才能あるの?」
そうやって焦燥感にひりひりしながらも、
「いや、やっぱり自分はこれをやるんだ! これやるためなら何だってやる」
て開き直って、貧乏だとかブサイクだとかのマイナスな事象を「笑い」というプラスの方向に変えてる強さがある。
さっき例に出した松っちゃんもデビューしてからとんとん拍子に売れたけど、生育環境は本人が度々ネタにしているようにかなりの貧乏だった。今はそういう感覚薄れてるだろうけど、日本人がそういう「恥」を晒して笑われるには「痛み」が伴うから、その「痛み」に耐えるには「強さ」が必要。
それって元々備わってる場合もあるけど、私が好きなのは「苦労」を単なる「苦労」と言わずに、それを自分の中で色々頑張って昇華させた人の「強さ」が好きなんだよね。
この人は運が良すぎて運が悪かった、という気がする。そういう「強さ」を養われる機会がなかったのだろう。一度プライドをぼきりと完膚なきまでに折られて、それでもやってやるという負けん気が養われなかった。デビューから知名度が上がるまですいすい行ってそこそこのレベルまでは簡単に行けたけど、
「俺ってやっぱりすごいやん! 天才やん!」
て調子に乗ってたけど、そっから先を突破できなくて評価もされなくなってきて、
「何でや? 何で俺こんな扱い受けるん?! 俺こんなもんやないはずや! それなのに何でや!」
てすごくイライラしてる感じ。
私が昔好きだったバンドも、デビューもトントン拍子で決まってデビューアルバムも話題になって下積みの苦労をせずに有名になった。そして、それから出したアルバムは平均点以上だったけれど精彩を欠く、「気迫」のないものばかりだった。ファンに対する態度も完璧に偉そうになって、人気が下降しても勘違いした天狗で見ていて悲しかった。そしてインタビューで自分たちのアルバムの評価が低いことを愚痴っていて、「終わったな」と思った。
それにこの人、中途半端に容姿がいい。本人もそれをちょっと意識してる。でも、飽くまで「お笑い」にしては男前なレベルで俳優やアイドル並みの賞賛を受けるほどではないし、チュートリアルや次長課長の井上くらいの、「下手なタレントより男前やん!」て笑いに出来るレベルでもない。
本人もうっすらそういうの解っててどうにかしなきゃいけないけど、プライドが邪魔してそういうので出来ないだろう。で、余計イライラしてカリカリする悪循環。自意識の空回り。
だからこの人のこと不愉快に感じてもバカにはできないんだよね。自分の姿を見せられてるようだから。
私もそこそこの文才あるけど、それが直接的な社会的評価に繋がらなくて、ネットでたまに
「文章が上手ですね」
て褒められて増長するけど、
「あーーーーー!!! ネットで褒められてもこんなん金にも何にもならないわー!!!!」
て物凄くイライラする。でも、ネットにこうして自意識を垂れ流すのは止められない。
最近はそれなりに落ち着いてきて「あー、私はダメでだらしないです」とだれて底辺生きる気になってきたけど、それでも諦めきれないからなあ。
西野を応援も擁護もせんが、その空回りぶりは痛いほどに同情します。
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by volontaire | 2010-04-24 03:57 | 罵詈雑言 | Trackback | Comments(0)

「素敵な奥様」幻想

これ、私の嫌いな言葉。
ネット見てると、自分の好きな芸能人や有名人の奥さんをやたらに褒めまくってる人を時々見かける。
奥さんを嫉妬と敵意剥き出しで叩きまくるのもどうかと思うけど、異常に褒めまくる人もどうかと思う。しかも、殆ど表に出てこない一般人の奥さんを。
まだ、奥さんも芸能人だったり、小説家や映画監督だったりして、メディアになんらかの形で露出して、その人の容姿なり才能なり人柄が少しでも解るなら、好きになれるだろうけど、そうじゃない人をどう好きになればいいんだろう。
とあるバンドのメンバーの奥さんのことを、
「旦那も支えて、子供もしっかり育てて、アーティストでもある、スーパー・レディ」
とか紹介してる人いて、「は??????」て思ったことがある。
一応、その人が制作した写真とかの作品はネットで見れるんだけど、メディアには露出しない、殆ど一般人に近い人で、彼女の顔や彼女自身の発言は解らない。伝わってくる彼女の発言や人となりは、そのメンバーが「僕の奥さんがこう言ったんだよ」「彼女のお蔭で助かったんだ」という、そのメンバーを通じてのもの。そのメンバーと奥さんは、バンドがデビューする前から付き合ってて、その人と奥さんの結びつきが強くて、色んなことがあったんだろうな、とは思う。だから、奥さんのことすごく愛してるんだな、てのは解る。
でも、自分の好きな人が奥さんや彼女を物凄く愛してるから、て、「スーパー・レディー」て言って絶賛しまくるのが私には解らない。伝わってくるのは断片的な情報で、それも偏った見方。愛し合ってるカップルが、端から見たら理想的なカップルとは限らないのに。ダメ男にダメ女、て組み合わせの場合もある。所詮「外野」の身には内実がどうかなんて解らないのに、どうして絶賛できるんだろう。絶賛してる人はその人なりの理由があるのかもしれないけど、はっきりした理由が私には理解できない。
なんで私がこう言うか、ていうと、よく、奥さんや彼女を悪く言う人に向かって、
「事情をよく知りもしないくせに勝手なことを言うな」
「会ったこともないくせに」
とか「正論」を吐く人いるでしょ? 確かに私もそう思う。
でも、事情をよく知らない、会ったこともない人を勝手に理想化して絶賛しまくるのも根っこは同じなんじゃないのかな。奥さんだって人間なんだから、欠点だらけじゃなくても、美点ばっかじゃないでしょ。
奥さんを悪く言う時は「悪100%」で、絶賛する時は「善100%」。
なんでこんな両極端なんだろう。
罵倒しようが絶賛しようが、知り合いでも近所でもない人の家庭についてあーだーこーだ言ってるのは同じで、言われてるほうとしてはどっちも鬱陶しいと思うんだけど。
「好きな人のやることは認めてあげようよ」
「好きな人が好きな人は好きになってあげようよ」
て言うのは一見して寛容な発言に聞こえるけど、それは単なる妄信なんじゃないの、て気がしてしまう。
好きな人とは趣味嗜好も思想も何でもかんでも合致する訳じゃないのに。それって、ご教祖さまの言うことは人殺しだってしてしまう信者と一緒のように私には見えてしまう。
それに、奥さんのことをやたらに絶賛しまくる人って、奥さんに自己投影してんじゃないの、て感じる。
同人用語で、「メアリー・スー」て言葉があるんだけど、好きな小説やアニメのパロディー作品に、若くて美人で頭がいい子が登場して、その子が他の登場人物からモテまくったり、絶賛されたりすることがある。それが、モテたり絶賛されるのに納得のできるきちんとした説明や深みのあるキャラクター造形がされてない、すっごく薄っぺらい感じの。読んでて、
「これ、作者の分身、しかも、都合よく美化した存在なんじゃないの?」
て感じるキャラクターのことを、「メアリー・スー」て呼ぶ。
そこまで極端じゃなくても、皆から頼られるお姉さん的な存在のキャラクターとかも「それはメアリー・スーなんじゃない」て呼ばれたりする。
奥さんや恋人をやたら絶賛する人は、奥さんのことを「メアリー・スー」、自分の好きな人から愛されたい、て願望を満たすための都合のいい存在にしたてるんじゃないの、て感じる。
「好きな人とずーーーと一緒にいて、キスもしてセックスもして子供も産んで、素敵な家に住んで、インタビューで私への愛や感謝を語ってくれて、私のために曲作ったりとかしてもらいたーーーーーい!」
て願望を屈折した形で表してるんじゃないのか、て思って、うえって感じ。
私も自分の好きな芸能人とデートしたりとか、そういう痛い妄想をいい年こいて平気でできるけど、それをおおっぴらにするのはちょっと恥ずかしいんだけどね。
しかも、まだ妄想で自分と好きな芸能人がどーたらこーたらならまだしも、実際に生きてる生身の存在の人を自分の欲望のために都合よく利用して、それをネットに公開して、ちっとも悪びれる様子も恥じる様子もないのはどうなんだろう。
「これは好意だから」
て、一見して「善」に見える気持ちには一切疑い抱かずに突き進む人は好きになれない。
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by volontaire | 2010-02-28 04:27 | 罵詈雑言 | Trackback | Comments(0)