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洋楽嘘CM





まーーーーーたくだんねえゴミ動画作ったYO!


今度は90年代洋楽(ほぼ)で嘘CM集です。
クオリティーは相変わらずだし、意味不明だけどな!
いいんだよ、これは自己満足でさ!
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by volontaire | 2010-08-31 02:32 | 面白動画

精神的ブラクラ注意




音が出るので注意。
スプラッターとかのいかにもなグロではないですが、結構な衝撃動画なので心して鑑賞してください。
これを見た時はパソコンの前でフリーズしました。
いや、これ、色んな意味でアカンやろ・・・・・・。
マドンナとかクリスティーナ・アギレラとかはかっこいいと思うし、それっぽいダンスやパフォーマンスもいいと思うんだけど、ここまで直球なのはちょっと・・・・・・。
この女性はsook yin leeというカナダの女性アーティストです。
このsook yin leeさんのウィキを見たら、彼女はバイセクシュアルであることを公表していて、ジョン・キャメロン・ミッチェル(ヘドウィグ・アンド・アングリーインチの監督)のShortbusという映画で、ほんまもんのmasturbationをやったことで話題になったそうです。
このPVも「同性愛者の権利のうんたらかんたら」という観点から撮られたのかもしれませんが、それ知らんもんからしたら、ねえ。
この人はこういうパフォーマンスを「してはいけない人」に入ると思うんですが。
私がこの人を知ったのは、youtubeでRadioheadのインタビュー映像を見てたら、この人がよくトムのインタビューをしていて(カナダの音楽番組のVJをやってたらしい)、その映像のコメントだか解説で
「このsook yin leeという女性はトムとそういう関係にあったって噂があるよ」
と書かれていて、
「え、こんな女性と?」
と失礼ながらも思ったのがきっかけで(すんません)、名前で色々検索したらこのビデオにぶち当たった訳なんです。
この人は感覚が欧米人なのかもしれないけど、アジア人からしたら見た目は同じだからどぎつい・・・・・・。
つか、話変わるけど、この人だけじゃないけど、何で欧米で受けるアジア系の女性って変な女性(失礼!)が多いんだろうな。
中国や韓国の人気のある女優さんやモデルさん、多少の好みの違いはあっても日本人から見ても綺麗な人や可愛い人が多いから、アジア人の好みと向こうさんの好みは違うんだなあ。
特にイギリスってケイト・モスやエラスティカのジャスティーンとかの「岩」みたいなごつい顔の女が受けてるから、理解できない。
私はSuedeのバイオ本を読んでるんだけど、初期のSuedeにジャスティーンが在籍していて、ブレットとデーモンと二股かけてたのは有名なんだけど、そのバイオ本の中で彼女が
「pretty girl」「gorgeous girl」「attractive girl」「stiriking looking girl」
とかすごい絶賛されまくってて、「???????」となった。
いや、ブサイクではないんですけど、見た目をそんなに褒めるタイプなのかなあ。
私は初めて彼女を見た時は男だと思ったんですけどねえ。
イギリス女は顔は綺麗でも雰囲気が女性らしくない人が多い。
そういや、「大和撫子」みたく、イギリス人女性の美質を集めた女性のことを「イングリッシュ・ローズ」というらしいですけど、ケイト・モスやジャスティーンのような女のどこが薔薇なのか。
あれが薔薇なのだとしたら、「英国式庭園」とやらは随分粗末なんですねえ(笑)
好みもあるだろうけど、私はフランスやイタリアみたいなラテン系の女性(男性も)のがセクシーで魅力的だと思います。
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by volontaire | 2010-08-28 00:48 | くだらない垂れ流し

Army Of The Looser

前回の記事でビョークの写真を挙げたので、ビョークのことでも書くか。
支離滅裂で矢鱈に長ったらしいけどなー。


私は余りビョークが好きではない。
音楽は素晴しいと思うし、インタビュー読んでも「いいこと言ってるな」と思うこともあるんだけど。
なんつーかね、この人は「正し過ぎる」「完璧過ぎる」て感じなのよ。
「自由のためにアメリカ帝国主義を打倒!」
「チベット開放しろ、中国!」
とか、言ってることは正しいと思うんですよー。子供たちのためにチャリティーやったりよー。
だから、気に入らないんだよなあ。
人間ってそんなに「正しい」ものなのかなあ?
私は世間一般が「正しい」「善い」としているものは嫌いだ。
「親を尊敬しろ」「慈善活動は素晴しい」「喧嘩はだめ」「戦争反対!」「相手を思いやったセックスじゃなきゃだめ」
みたいな。
別にそういう「建前」「モラル」「偽善」が全部が全部間違いとは思わない。
でも、それは「本音」ではないよね?
本音のままに行動して周りをメチャクチャにしていいだなんて、いくら私でも言わないけれど、そういう「欲望」「本音」を持つこと自体がいけないという観念で物事を規制するのはいかがなものなのだろう。
人々が素晴しいミュージシャンやアーティスト(ビョークのように)を熱狂的に支持するのは、普通の人がそういう「建前」「モラル」「偽善」に縛られて窮屈な思いをして生きているのに、彼らはそういったものを「くだんねえよ」と一蹴して物事の本質を表現するためにその人生の全てを捧げているからだ。
だから、ミュージシャンが政治的な発言をしても、同じような発言を政治家や経済界の人間と同じことを言っていても支持されるのは、
「この人たちの言っていることは「建前」「偽善」とかの表面的な薄っぺらいことではなく、人間の「本質」から出た、「本当」のことだから」
と思うからだろう。
素晴しい音楽を鑑賞した際に生じる「本当の感動」と同じものをこの人たちは与えてくれるとね。
私は別にミュージシャンが政治的な発言をしてはいけないとは思わないが、彼らが言っていることが常に「本当」のことだと思うのは間違いだと思う。少なくとも「絶対的な正義」と思ってはいけないだろう。それほど恐ろしいものはない。
私はビョークの言動を何となく受け入れられないのは、彼女が「勝者」「強者」の視点しか持っていないように感じるからだ。
この人は「神童」と呼ばれて12歳から音楽活動を始めて、ずーーーーっと第一線を走って、下積みの悲哀も落ち目の惨めさも味わっていない。
別にそれを「ずるい」「卑怯」だのと言う気はないし、そんな資格は私のような無才にはない。彼女は唯一無二の素晴しいアーティストであり、その成功は彼女の才能と努力、今なお様々な最先端のアートにアンテナを張って創作意欲を持っていることによることで、それは当然の結果だ。
でも、それでも思うんだよね。あんた自分がどれだけ恵まれているのか解っているのか、と。
別に、ビョークが少々「イッっちゃった」アーティストとはいえ、
「私は天才で、今の私はぜーーーーーーんぶ私の才能と努力のたまもの! 私がすごいから当然よ!」
と思い上がってるとは思わないけど、才能もなく運もなく醜くてずるくて弱くてだらしのねえ人間の気持ちは絶対に解らないよなあ。
この人は音楽に才能があってそれを早くから発揮してずっとそれに打ち込んできたけれど、それができる環境と幸運にいることがどれだけ「恵まれている」ことなのだろう。
才能があってもそれを見出して売り出してくれる人がいなかったり、家族が反対して押し潰してきたり、やりたくないぺらぺらの「商業音楽」やらされ続けて評価されなくて歯軋りしたり、単に見た目が余りよろしくないだけで笑い者にされたり、言っていけばキリがないけれど、そういう理不尽に押し潰される「弱者」「敗者」の視点はこの人からは感じない。
ビョークだって、何か間違えば汚い場末のバーで下らない流行歌を歌って日銭を稼ぐ落ちぶれたシンガーに成り下がっていた可能性もあっただろうに。
「努力できるのも才能のうち」というのが解らないであろうタイプだ。
こういう人に「正しくできないのは怠けているからだ!」と言われるのは、100メートルを9秒台で走れる人間に
「どうしてお前はそんなに足が遅い? もっと努力すれば足が速くなるのに、そうならないのは努力が足りない、怠け者だからだ!」
て言われるようなもんだよ。
こういう「勝者」「強者」の視点しか持っていない人が「正義」と言い出すのは大変に恐ろしいと思うのだけれど。
この人はチベットやらコソボやらの独立に口を出しているけれど、単純な「勝者」「強者」の視点から一方的に
「正義」を口にして振りかざすのはどうなんだろうねえ。
私はチベットで行われている人権侵害は恐ろしいし、中国はとんでもない国だと思う。強い国が弱い国を自分の都合で支配するのは許されないことだと思う。
でも、「国」「政府」がやっているからといって、「国民」全てがそうなんだろうか?
日本にだって色んな考えや生き方や立場の人がいるけど、どこの国でも「弱者」「敗者」はいる。そういう人間じゃなくても、一般人は何が正しいかよく解らずに毎日を精一杯に暮らしている。
そらね、あんたは頭良くて時間もあって意見聞いてくれる人だらけだろうけど、大概はそうじゃないんだよ。
戦争は悪い国と善い国がやっていて、戦争をしかけたり支配している国は国民全てが「悪」なのかな。
「子供のため」
といってチャリティーをやる人がいるように、
「子供のため」
と悪いことに手を染めざるを得ない人もいる。権力者に尻尾振るような、自分のプライドを切り売りしている人だっている。
そういう人たちも「正義」の名の下に滅されるべき「悪」なのだろうか。
弱くて可哀想だから何をしてもいいとは言わないが、結果が「悪」だったとしてその動機や過程までも「悪」であり、全て断罪されるべきだというのなら、私はそれはファシズムだと思う。
そして、政治とかって私みたいなバカには理解できないくらい複雑で、善や悪が入り混じり、視点を変えればそれは簡単に逆転する。
例えば、日本のお隣には北朝鮮というとんでもない国があるが、それが今すぐなくなったらどうなるだろう?
日本と韓国と中国の問題は山積みだけれど、一定の緊張感を保ちながらも大爆発せずに済んでいるのは北朝鮮という共通の敵がいることで、
「あいつがいる間は戦争はしないようにしよう」
という一種の仲間意識が生まれているという見方もできないだろうか。
私のこの意見は人によれば一笑にふされるような幼稚なものだろうし、北朝鮮はとんでもない国だというのに異論はないが、「戦争や独裁はいけない」という「建前」を飲み込んで「正義」に邁進していては結局自滅すると思うのだが。
「正義」と格好のいいセリフを口にしているが、その「正義」が行うことは何なのだろう。
「圧制に苦しむ人々を救う」
という美名の下に「解放戦争」を行い、
「この国に民主主義と平等を徹底させる」
と「統治」することなのだろうか。
「正義」「自由」と言っているがやることは「戦争」「支配」だよね。
私はビョークがそういうことを支持するとは思わないけれど、そこまで考えが思い至っていない人が簡単に「正義」を口にするべきではないと思う。
この人はエキセントリックでパッション爆発のアーティストだから深く考えずに行動しているのだろうが、だったらそういう人の言動を簡単に「素晴しい」とか言って鵜呑みにして絶賛して支持したらあかんのでは?
「正義」「自由」と口にするのは簡単だけれど、それを成立させるためにどれだけの「不正」「悪徳」「不自由」があり、また表面的にでもそれ潤滑させるために裏でどれだけ汚いことが行われているか。
私は直接的な被害者が
「私達を自由にしろ!」
と叫ぶのは十分に解るし、外野があれこれ言う権利はないし、解ったように
「この世の中は綺麗ごとだけじゃやっていけないんだよ」
と説教する輩の方が大嫌いだ。
マドンナのように
「私がどんなに頑張って素晴しい音楽を作っても戦争してたら皆聞いてくれなくなる。
だから戦争反対!」
と叫ぶのなら逆にかっこいいと思う。
「戦争反対」「愛と平和を子供たちに」
結構、結構。だが、その奇麗事が弱くてずるくて運のない連中に届くのですかねえ?
どこの職場にもいると思うが、自分が直接損害を被るわけでもないのに、他人の仕事にやたらに口を出して監視して上から目線で怒鳴り散らすオバサンが私の昔のバイト先にいた。
「とろとろしてんじゃないよ!」
「優しく言っている間に言うこと聞け!」
「いっつもぼーっとして、アホか!」
毎日のように他人に罵詈雑言を浴びせかける。
私がいるのは常に底辺の職場なので、信じられないバカやノロマ(私も含めて)が多く、言われる奴にも確かに問題はあり、「仕事をきちんとしろ」というのは正論だ。
だが、だからといって他人を罵る権利があるのだろうか?
このオバサンは、誰かに意地悪をするのが楽しいという悪意から言っているのではなく、
「私はあんたのためを思っていってやってるんだ」
という善意と「仕事をちゃんとしろ」という正論を持って他人を過剰に監視して攻撃してきたから、物凄く性質が悪かった。そのオバサンがギャンギャン言うのは、確かにバカでノロマな連中だった。
自分がバカでノロマなのは事実で他人にいっぱい迷惑かけてるのは知ってる。
でも、どんなに一生懸命やっても自分は人より物凄く劣る人間なんだ。
「ちゃんとできないのは怠けているから、甘えているから」
そう言われて批判されまくるのがどれほど辛いことなのか解るだろうか。
自分の無能さのせいで迷惑をかけられた人が怒るのは仕方ないけど、直接関係のない人間に「バカ!」「グズ!」と罵られることがどれだけ頭にくるか解らないのだろうかね。
それにこのオバサンだって人のことにあれこれ口を出せるほど有能な人間ではなかった。
バカでノロマな私でも「あの仕事の雑さはなんだ」と思うくらいだった。
それなのに人を監視して片っ端から口を挟み、上から目線で「私は正しいことを言っているんだから言うことをきけ!」と喚きちらし、それが聞き入れられなかったら更に喚く。単なるヒステリーじゃないかと思った。
別にビョークがヒステリーオバサンだとは言わないが、自分が直接被害を被るわけでもないのに、相手の事情などお構いなしで一方的に「正しいこと」を叫ぶ姿勢に、似たものを感じた。
「勝者」「強者」が唱える「正義」「善」に一定の魅力や理があるのは確かだが、それが「弱者」「敗者」に一方的に押しつけられるのなら、紛れもない暴力でしかない。
ビョークのような、どこからどう見ても「勝者」「強者」がそう叫ぶのなら解るが、そうでない人間が無理をして従う必要はないだろう。
その「正義」の矛先が自分に向けられた時、その恐ろしさが初めて解るだろうに、解らないのはどうしてだろうねえ。
ビョーク様の「正義」が日本の捕鯨やイルカ漁や靖国問題や過去の歴史問題に向けられることがないことを、目先の物質の豊かさのために強国のケツを舐める奴隷であることを選んだ国民としては真摯に願います。
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by volontaire | 2010-08-21 01:07 | 罵詈雑言

Prejudice Eyes

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誰このオバサン?

と思ったらbjorkでした。
最初は同名の別人だろうと思っていたけど、他の同じ衣装の写真を見たら歌手のあのbjorkで間違いないようで。
別段彼女のファンではないけれど、この写真見た時はショックだったわー。
この人、あんま年取らないイメージだったけど、やっぱ40超えるとガクっと老けるんだなあ、向こうの人って。
アイラインを太くしているのは皺隠しだろうと思っていたけど、ここまで首筋や顎のラインが崩れているとは・・・・・・。
オバサンを通り越してお婆ちゃんだよ、これ。
つか、この写真撮った人間の物凄い「悪意」を感じる。
これを撮った人間がどういう人間かは知らないけれど、まあこうやって有名人の醜い面を強調させて、それを悦ぶ大衆の心理とやらを無意識の裡に解ってるんだろうな。
よく、「写真は在りのままの事実を写す公平なもの」とか言われるけど、それは絶対に嘘だ。
政治目的のプロパガンダ写真は物凄く修整されてきたし、こんな風に被写体をどう見ているかはありありと解る。
私自身も写真を撮っていて、対象をどう見ているのか、どうして自分はこんな写真を撮るのか、それを見せ付けられて愕然とする時がある。
絵でも写真でも小説でも漫画でもいいけど、何かを「作品」として世の中に発表するのって、人前でオナニーしたりケツの穴を広げて見せてるようなもんなんだよなあ。
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by volontaire | 2010-08-15 00:28 | 写真

てけとうに

写真を色々撮ったのでアップします。
私が撮ると「暗い」写真になるのはどうしてなんだろう。
完全に測光を理解していないからかも。
もっと撮らないとなあ。


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寝ている甥っ子の腕です。しぇくしーに撮れているでしょうか。

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台所にあったトマト。隅にある漬け物置きで生活感を演出してみました(嘘)

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なんだかよく解らない道に植えられていた花。
小さい花は好きです。

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デパートのマネキン。どうでしょう、スタイリッシュでしょうか。

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毎日通う駅の歩道橋。私はこういう構図が好きなようです。


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知り合いのライブに行って撮った一枚。
ポジフィルムで撮ったけど、ISO400だと無理があったみたいで、殆ど真っ暗だった。
25枚撮って見れるのは4・5枚だった。
最低でも800は要るかな。
ポジのが綺麗だからそれで撮れるなら撮りたいんだけどなあ。
測光をもっと勉強しないとだめかしら?
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by volontaire | 2010-08-11 22:40 | 写真

天使なんかじゃない

「二十日鼠と人間」という映画を見た。
スタインベック(「怒りの葡萄」「エデンの東」の著者)の同名小説を映画化したもの。
簡単に内容を説明すると世界大恐慌時のカリフォルニアで、定住せずに様々な農地を転々としながら暮らすジョージとレニーの二人が主人公。
レニーは体が大きく力が強いが知的障害があり、子供ほどの知能しかない。
ジョージは小柄だが頭が切れ、そんなレニーの面倒を見ていた。
そんな対照的な二人がタイラー牧場に働きに来てから数日間で起きた出来事がこの映画のストーリー。
私は先にスタインベックの小説を読んでいたから結末を知っていたが、矢張りあのラストは胸に刺さった。
見ていない人のために詳細は言わないが、悲しい結末だった。
派手な音楽は殆ど使われず、映像もアクション映画のように目の回るカメラワークや斬新な構図はなく静かで美しい。
スタインベックの原作も登場人物の心情表現は殆どなく情景描写のみで淡々と進んで行くので、原作の雰囲気に近いように感じた。
ラストがどうなるか知っていて、それが変えられないと知っていても
「どうにか助かってくれ」
と願わずにはおれず、そうならなかった時は悲しかった。
最近、格差社会が問題になっていて「蟹工船」といったプロレタリアート文学がベストセラーになったが、私はこの映画や原作を鑑賞して欲しいな、と思った。
日本、特にネットでは少しでもレールから外れた人間を過剰に叩く傾向が強い。
例を挙げればきりがないが、レニーのような知的障害者や精神障害者といった「アタマ」の障害の人が事件を起こすと、
「キチガイは死ね」
と、ヒステリックに脊椎反射で「死ね」と叫ぶ「死ね死ね団」が跋扈している。
別に、知的障害者や精神障害者を「天使」と思えだの、彼らがやることなすこと全て許してやれだのとは言わないが、彼らを得体の知れない「邪悪なモンスター」と思い込み、「駆除」しろという発想はいかがなものだろうか。
私は昔、ひどい心の病に罹って心療内科に数年間通っていて、自分の心なのに上手くコントロールできずに酷く辛い思いをした経験があるので、そういう発想は非常に怖くて仕方がない。
この映画でレニーは様々な「トラブル」を起こすが、それは「悪意」からではなく、
「どうしてそれをやってはいけないか」
という判断ができない故からだったり、トラブルを「起こす」というより「巻き込まれた」「舞い込んできた」という方が正しいだろう。レニー自身「おいらはトラブルを起こしたくない」と言っているし、知的障害者は嘘が吐けないので、そのように思っているだろう。
例えば、「綺麗」「欲しい」と思ったら思わず手を出して掴んでしまう。
それが女性が着ているドレスであれば大問題だ。
掴まれた女性は大男にいきなりドレスを掴まれるから驚いて悲鳴を上げる。
レニーは悲鳴を上げられてパニックになって益々強くドレスを掴む。
女性は益々パニックになる。
女性はドレスを破られて逃げ出し、レニーとジョージはその時いた町を追われることになる。
別にレニーには女性を暴行しようという意思はなく、
「ドレスが綺麗だから触りたい」
と思っただけだが、女性やレニーに知的障害があることを知らない人間からすればとんでもないことだ。
だから、ジョージは牧場主の息子カーリーの美しい妻が現れた後、
「あの女が脚を見せたら目を逸らせ」
と言う。
そして、
「あの女はネズミの罠だ」
とも。
この映画が秀逸なのはこのようなちょっとしたセリフが伏線になり、悲劇的なラストを予感させることだ。
長年連れ添った老犬を自分で殺すことのできなかったキャンディーという老人が
「自分の犬を他人に撃たせるべきでなかった。自分でするべきだった」
というセリフも。
この作品は悲惨なラストも胸に刺さるが、それを引き立たせるのが、それ以外の明るい未来もあったのではと思わせ、その未来があればよかったのにと感じさせる「輝かしい瞬間」があることだ。
二人には夢があった。
自分達の農園を持ち、その土地からできる一番いいものを貰って生きること。
それを何度も二人で語り合っていた。
それが俄かに叶いそうになる。偶然二人の夢の話を聞いて、自分には金がある。その農場に自分も入れてくれるならのその金を出すから、とキャンディー(犬を殺された老人)は二人に提案する。
破産した地主に手紙を書いて上手く交渉しよう、手付金を100ドルくらい渡して、足りない金はジョージとレニーが一ヶ月この農場で働いて稼げばいい、おいらは兎を飼いたい、掃除をするのはわしだ。
レニーとジョージとキャンディーが一気に興奮しながら笑い合うシーン。
ラストの闇を更に濃くする明るい笑顔を三人は見せる。
また、農場で働くシーンは明るくアップテンポな曲が使われていることもあり、過酷な作業ではあるが悲壮感は少ない。
レニーは体が大きく丈夫で力が強いのでこのような肉体労働にはぴったりで、普通の人間であれば二人がかりで運ばなければいけない荷物も一人で軽々と運び、トラックの荷台にどんどん積んでいくので、一緒に働いている男が「あいつのスピードには参る」というほど。
これはレニーの持つ凄まじいパワーがいい方向に使われた場合だが、そうでない場合は。
レニーは牧場主の息子のカーリーに因縁をつけられ殴られる。カーリーは短気で粗暴な小男で、その僻みから背の高いレニーを目の敵にしていたからだ。そしてレニーはカーリーの拳を掴み、片手で握りつぶしてしまう。
無論、これは正当防衛といえるものだし、レニーが積極的に暴力を振るおうとしたのではなく、殴られるままだったレニーに対し、ジョージが「やれ!」と言ったからで(その後レニーは「傷つけたくなかったのに!」と泣く)、上手く制御ができなくなり、カーリーの拳をぐちゃぐちゃにする。
カーリーの拳を潰す際のレニーの興奮した顔と苦痛に呻くカーリーを描写しているのは誠意を感じる。
障害者を扱った作品は障害者を「天使」のような無垢で純粋潔白で善良な可哀想な存在として描かれるが(それが「健常者」を遠ざける原因)、この作品は障害者の「危険」な一面を捉えているところが深みがある。
そして、「危険」ではあるが、「邪悪」ではないところがミソだ。
レニーはネズミや子犬やウサギといった小さな動物が大好きで、撫でて可愛がる。
でも、力の加減が上手くできなくて本人は「優しく」している積もりでも首を折ってしまうことになり、ジョージがいくら注意してもそれを止めることができない。
本人に「悪意」など一切ない。なのに殺してしまう。
恐らく、一般人は知的障害者や精神障害者が起こす事件を彼らの言動が普通の人間からすれば不可解であり、その動機が解り辛いため(本人もよく解らないし、説明する能力もなかろう)、「気持ち悪い」と感じるので
彼らを「邪悪なモンスター」と誤解するのだろう。
レニーの行動にしたって、映画や原作の詳細を知らずに
「なぜだか動物を殺してしまう知的障害者」
と説明されれば、それは「悪意」からくる凶行、動物をいたぶる事が楽しくて仕方ない、快楽殺人にも似た行動としか捉えられないだろう。
レニーだって殺す積もりはなく、自分が可愛がっている裡に死んでしまった子犬を抱えて
「どうしてお前は死んでしまうんだい? ただ撫でていただけなのに」
と泣くのに。
レニーは力があるがその制御ができない。確かにそれは「危険」だ。でも、それだって正しく使われれば「危険」ではない。周囲が理解してくれておかしな行動をしないように監督してくれている人間がいれば必ずしも「危険」ではない。
レニーが「トラブル」を起こすのはジョージが目を離した時が殆どだ。そしてそれは「ハズミ」だ。
くどいようだが、本人は「傷つけてやろう」などという意志は一切ない。
様々な不運が重なった上での出来事であり、それは「健常者」が起こす事件と変わりない。
レニーは「加害者」でもあるが「被害者」でもある。
純粋で優しい心を持っているが「危険」でもある。
「天使」でもないが「悪魔」でもない、「人間」である。
知的障害者でも精神障害者でも何でもいいが、メディアがそういった存在を取り上げる際、彼らを「常に虐げられている可哀想な人たち」か、「不可解で気持ちの悪い凶暴で恐ろしい存在」といった「被害者・加害者」「善・悪」といった極端な二元論でしか語られない。
「人間」ははっきり善悪で色分けできるような単純な存在ではない。
だから私は、野島信司のドラマに出てくる障害者や病人が大嫌いだった。
彼らは「邪悪で強大な健常者」により常に傷つけられ虐げられて傷ついているが、それによって性根を曲げることなく常に「純粋」で「善良」な存在。
とにかく障害者や病人を傷つける側の人間は100%「邪悪な加害者」であり、障害者や彼らに味方する人間は100%「善良な被害者」。
ドラマや映画や漫画など、フィクションの力によって差別なり社会問題を訴える力は大きいし、才能のある人間が熱意を持って創作した作品、それこそスタインベックのような大作家が社会の底辺に生きる人間を描いたこの作品は多くの人間の心を打つ。
スタインベックは様々な労働に従事していたこともあり、このような「虐げられた人々」を目にして交わって同情的だったのだろうが、社会の理不尽や人間の弱さや狡さにも目を向ける現実的な視点とそれを描写する冷静さも持っている。
レニーは確かに社会の理不尽や人間の残酷さの犠牲になってしまうが、世の中の人間全てが冷たいわけではない。
牧場にはスリムという頭のいい男がいるのだが、彼は優しくレニーに対して理解があり、何かにつけてレニーに救いの手を差し伸べてくれる。レニーがカーリーの拳を握りつぶした時も
「あんたは機械に手を挟まれたんだ。本当のことを言ったらあんたのイジメをばらす」
とカーリーに口止めをする。
「頭の良さと人の良さは関係ない」
と優しいことを言う男でもある。
レニーが純粋だが「危険」でもあるように「弱者」が「善良」とも限らない。
農場には黒人労働者がいるのだが、彼はレニーに対して
「イカれてるな」
「お前みたいな人間にはジョージの言ってることが解らないだろ?」
と、普段自分だって色んな人間に馬鹿にされて悔しい思いをしているのに、同じことをレニーにする。
「弱い者が更に弱い者に噛み付く」
という理不尽とどうしようもない人間の弱さをきっちりと描いている。
レニーを守っているジョージにしたって、
「お前がいなければ俺はもっといい暮らしをしてたんだ!」
「お前さえいなければ!」
と、全部本心ではないにしろ苛立ちからレニーに対して暴言を吐いたりしている。
誰かが100%悪で誰かが100%善であれば、作る方は元より見るほうも楽だし、気軽に見れる娯楽映画などは別にそれでいいと思うが、もし社会問題を訴えたいのであればそんな単純な構造ではいけないだろう。
「加害者」も「人間」で「被害者」も人間。
「差別者」も「被差別者」も人間。
その二つは複雑に絡まり合い判然とせず、いつ立場が逆転するか解らない。
野島信司のドラマや24時間テレビに取り上げられる単純な「加害者=100%邪悪」「被害者=100%善」という構造では、加害者にも被害者にもリアルさを感じられず、単に感動(それも安っぽい)を消化されていくだけだろう。
自分は差別もしないし差別される側になることもないと思っている「普通」の人。
自分は知的障害者を罵倒したり殴る蹴るの暴行を加えたりなんかしないし、自分は知的障害者みたいな「キチガイ」じゃないもん。
それを揺り動かさなければ意味がない。
例えば、ジョージがレニーに対して吐く暴言は、相手が知的障害者や精神障害者ではなくとも、自分の子供などの被保護者に対して、憎しみやサディズミなどではなく暴力を振るったり暴言を吐いてしまうことがあるが、それと似たようなものだ。
撫でている裡に動物を捻り殺してしまうレニーのように、過剰な愛情で相手を押し潰してしまうこともあるだろう。
自分の恨みや不満を直接関係のないより弱い者に向かって吐き出すことだってあるだろう。
先述した「死ね死ね団」の人間のようにだ。
自分の中にはジョージもいればレニーもいる。虐げられる余り性根まで曲がってしまった黒人労働者もいる。
そのことに気付かせなければいけない。
それができなければ何を訴えても無駄だ。
例えば、私の母親がいい例だが、彼女は
「知的障害者は悪魔だ」
と苦々しげに、いかにも「弱者という名の強者は許せない」という口ぶりで言っていたが、彼女が私にしてきた、私の人間性を踏み躙る言動の数々がどれほど私を傷つけ今現在の私を苦しめているか知らない所か、それを
「私はあなたのためを思ってやっているのよ」
と言い放ち、それを解ってくれない私こそが悪いという態度を取る。
母は犯罪者ではないし、自分も他人も「普通の人」と思い、その異常性に気付く者はいない。
私だってできれば自分の母親が「異常」で、自分が受けてきた愛情が「異常」だなんて思いたくはなかったが、
そうとしか思えない。
それを話せば長くなるので今回は避けるが、自分も他人もその異常性に気付かない母のような存在は「悪魔」だと私は思うし、傍目から見れば私が母を踏み躙る強者のように見えるだろうが、私からすれば母こそ「弱者という名の強者」だと感じる。
差別も虐待も誰もがちょっとしたことから「差別する側」「虐待する側」になるのだし、今現在している可能性があるのだ。
「どうしてお前はそうなんだ! お前は本当にダメな人間だ! お前みたいな人間死んでしまえ!」
カッとなる余り思わずこのような暴言を口にする親は結構いるだろうが、もし本当に子供が死んでしまったらどうなるだろう?
「お前さえいなければ」
ジョージのこの言葉は半分本心だっただろう。
でも、本気でそうなればいいとは思っていなかったのも本心だろう。
ラストは恐らくは一人で列車に乗ってどこかに向かっているであろうジョージの顔が写されるが、彼の心中やいかに。
それは誰にも解らないし解ってもらえない。
それを痛いほど一人で噛み締めているのだろう。
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by volontaire | 2010-08-05 01:03 | 映画

ヘアーーーーーーーばーーーーーんど!!!!!

http://fujirockexpress.net/10/?p=4511

トム・ヨークさんはやはりヘアー・バンドで苗場降臨したようです。
しかもタンクトップ・・・・・・。
藤崎マーケットを意識しているという私の読みは当たりましたね<違
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by volontaire | 2010-08-02 21:57 | くだらない垂れ流し